テーマ3 人生は勝負の連続
選手宣誓のとき、「正々堂々競技する事を誓います」という人が多くなりました。かつては、「戦う事を誓います」が一般的でした。競技に変わったのは誰かが言い出した事だと思います。第一、戦うなんて物騒だし、平和的ではないからというのが多分理由でしょう。
どちらでもよいが、僕は戦うのが断然いいと思います。正しいと信じています。何故か。理由は簡単。人生はそれ自体戦いの連続なんだから。その人生をわたるについて、スポーツを戦いとしてとらえ、人生を学ぶのです。何としても勝たなきゃならない。勝とうとするから人は強くなるのでしょう。勝っても負けても競技だから・・・では第一悔しくないし、勝つために人以上に努力をしようなんて気が起こらない。これではスポーツをやる意義が半減します。何が何でも勝ってやる、と向かっていったが負けた。悔しい。泣けてしょうがない。よし次には勝ってみせる。又も負けた。よし、いつかは必ず勝ってやる。これがスポーツの精神であり、ここまできてはじめて体だけでなく精神もスポーツで鍛えられるのです。
近頃、プロ野球の後のインタビューで、“気持ちだけは負けないように”、“気持ちを前に出して向かっていった”などの表現がよくあります。これが今の若い人の表現方法なんでしょう。僕たちのころはそれが“気”だったんですよ。時には“気合”使いました。よく火事場の馬鹿力といいますが、いつもはとても持てない重いタンスを“火事だ”と言われて、知らぬ間に担ぎ出したりする。これを気の入った力といいます。これをスポーツに使わないと本当の上達はありません。
“人生は戦い”を別の視点から少し説明しましょう。
何年か前、中国では揚子江の洪水で大変な被害を受け、一時は何処までこの災害が広がるか予測がつかず、全国民の不安は激しくなりました。この時、江沢民主席は“洪水になんかに負けるな!洪水と戦え!”と号令しました。国民は奮い立ち、遂に洪水をくい止めたのです。江主席は勝利宣言をしました。人生には様々な災害・事故・病気等、人を悩ますことが多く起こります。君たちはそんな時、勇気を奮い立たせ戦うのです。人のために先頭に立ちなさい。他人のためばかりではなく、学校で難しい試験迫ってきた時も、相手を叩きのめすつもりで戦うのです。きっと優(A)がとれますよ。人生はこのように何でも戦い、毎日が戦いと思うと、次々に勝つのが面白く、楽しくなります。
今から90年前、南極はまさに魔の大陸でした。征服しようと行き着く前に7割〜8割の人は海難事故で命を捨てました。ナイロンもプラスチックもビニールもない時代の酷寒の地での旅がどんなに苛酷なものか想像できますか。そんな時イギリスでシャクルトンという探検家が南極大陸の横断を計画しました。
「求む男子。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い日々。たえざる危険。生還の保障無し。成功のあかつきには名誉と賞賛を得る。」これは彼が出した求人広告の文章です。カッコいいと思いませんか。僕なんかこんな年でもゾクゾクして、応募したくなります。命知らずの勇気に満ちた人々が手を上げ、訓練の上いよいよ出発しました。船の名は、エンデュアランス号。たちまち船は氷に押しつぶされ、沈没してしまい命からがら小型ボートと共に脱出、氷海の中エレファント島という無人島に辿り着く。そして多くの隊員を島に残し、シャクルトンは救助を求めサウスジョージア島を目指す。島の真中にそびえる氷河をいただく山脈越えを敢行、ついに捕鯨漁師のいる集落に辿り着く。南氷洋漂流から実に1年9ヶ月、28名は全員が無事に救出された。(佐々木氏の南極越冬記より)
同じ人間に生まれ、こんな凄い戦いに挑み、そして大勝利を博した偉人もいるんです。シャクルトンは少年時代きっとスポーツを得意とし、力一杯戦って己を鍛えたのだと思います。
どうしてそんなに勝ちにこだわるか・・・こだわるから人一倍練習するんでしょう。こだわるから強くなれるんですよ。いいですか。剣術も柔術もかつては細かいルールがなく、試合の結果、負ければ命を落とすこともあったのです。だから真剣です。この真剣さがあって、その人の技は進歩したのです。
スポーツから真剣とか必死の心構えがなくなったら、老人のやる体操程度の意味しかありません。心を鍛えるなんて最初から無理です。だから・・・戦う・・・と言うべきなのです。競技がよいなんてアドバイスした人は、多分スポーツから何も学び得なかった人だと思います。スポーツは自分より強い相手に向かっていく。敗れる。悔しい。今度勝つと又ぶつかっていく。やがて10回に1回勝てるようになる。これを続け1回が2回に、そして5回に、最後は10回に10回となり、次の更なる強い相手に新たな挑戦をするのです。